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エゴによる悲劇の例
では、子供時代の話しをしましょう。

  0から13才までの間に人格が形成されます。

  親には悪気はありませんが、一般的に子供に悪影響を与えています。

  アメリカでの調査によると、アメリカの平均的な家庭に育った子供は子供時代に「ノー」、「ダメ」、「できない」等の否定的な言葉を14万回聞いていると言われています。肯定的な言葉や誉め言葉は、否定的な言葉の10%程度しか聞いていないそうです。

  これにより人は自分はできないという恐怖により多くさらされています。

  子供が小さいときには、親はどのようにして子供をコントロールするでしょうか。やはり、恐れを使います。罰を与えるという脅しを使います。

  例えば、「オバケが出るよ。」と言ったり、「こんな悪い子は神様は要らないよ。」と言ったり、「悪魔が来るよ。」と言ったり、「体罰を与える。」と言ったりして、恐れの気持ちによりコントロールします。

  子供は、「何をやってもうまく行かない。」と言う間違った観念を持ってしまいます。自分の行動に責任を持つという事にあまり魅力を感じなくなります。「あの子がやった。自分は悪くない。」という言い方をよくします。

  ある人の調査によると、二人の子供がやった事について、別々に意見を聞くと、双方とも「あの子が悪い」と、言い張っていることが多いのだそうです。子供が人のせいにするのは病的な事ではありませんが、多かれ少なかれ人は自分の行動に責任を取りたくないような気持ちで育ってきています。


 どういう仕組みかと言うと。

  例えば、啓子さんがまだ3才だったとします。

  啓子さんは床に座って人形と楽しく遊んでいるとします。自分のエゴの部分と常にコミュニケートしています。エゴは啓子さんに向かってイメージとか、考え、印象とか、感情とかの色々な形で何かを伝えようとしています。或いは心の中でエゴと話しをしているかも知れません。ほとんど意識していないのと同じ微妙なレベルでそれを行っています。

  啓子さんが、そうやって、人形と遊んでいる時、エゴは、「ちょっと教えてあげるね」と言います。そして、その情報に従って啓子さんは何かの決定をしなければならないのです。

  そうです、人生とはどういうものかと言うことは、既に3才にして分かってきています。つまり、「もし、自分が何かを決めたときに、回りの人が気に入らないと、自分は嫌な目に会う。」という事が分かっています。

  私達全ての人生に於いて、そういう瞬間があります。エゴが情報をもらい、どちらかに決めるとき、自分で決めない方がいいなと思う瞬間があります。

  「最初から、お友達のあの子に決めさせちゃったほうがいいや」と思うのです。その瞬間に啓子さんはその現実について、我々のほとんどが住んでいる幻想の中に、3才にして足を踏み込んでしまったと言う事になります。

  「人生で自分に起こる全ての事は全て自分に責任が有るんだ。」という現実から、出て、自分の人生は自分でコントロールするのではなく、誰かに任せてしまえばよいという幻想の中に入ってしまった事になります。それは、ある意味でエゴにコントロールを渡してしまった事になります。


  エゴはコントロールをもらってどうするでしょうか。

  エゴは吸収と反射しかしないので、そこには論理も理性も意志の力もないのです。何のプログラミングもないのです。

  この時点でエゴができる事は、更にまた何かを吸収して反射するそれを続けるだけです。啓子さんは、生後8カ月であろうが、3才であろうが、5才であろうが、情報は外から中にやってきて、コントロールをエゴに明け渡してしまっています。

  しかし、エゴには選択肢が二つしかありません。外から情報が来てしまっているので、エゴにはもはや中のものを反射するしかなくなります。

  エゴは、結局得る事はできないので、もう一度啓子さんに「決定しろ」という情報をあげる事しかできないのです。エゴには決定できないので、啓子さんに反射をするだけです。

  この瞬間エゴはもう一度、吸収と反射を繰り返すだけです。外側から情報を吸収して、内面の意識に反射するのと同じように、内面の意識から情報を吸収して外側に反射するという事もします。

  すると、何が起こるかと言うと、それまで啓子さんが持っていた非常にすっきりとした世界への知覚の代わりに、主観的な意識にあったものが外に反映されて、突然あたりが濁ってくるのです。


  意識の中でいちばん強いものは、恐れです。また、人はポジティブな考えより、ネガティブな考えを多く持ちます。ネガティブな思考の土台は恐れです。この時に、啓子さんの世界に対する認識にどんな事が起きたかと言うと、恐れでエゴが濁ってしまった為に、外からやってきた情報は必ず恐れの中を通らねばならなくなったと言うことです。「私にはできない」とか、「ノー」だとか、「私は悪い女の子だ」とか、「恐れ」とかに取り巻かれてしまいます。

  エゴは相変わらず新しい情報をどんどん受け入れようとするのですが、外的意識を通って内面の意識に到達しますので、ここを通らなければならないとすると、「情報は歪曲される」のです。外からやってくる情報が純粋なクリアなものではなくて、汚染されたものになってしまいます。

  例えば、フリスビーを投げたときに、ぬかった泥の上をリバウンドしたとすると、フリスビー自体は同じですが、周りに泥がついて、汚れたフリスビーになってしまいます。啓子さんが受け取る情報は、常にぬかった泥の中を通らねばならないので、心の中に入ってきたときには既に色々なものがくっついてしまっています。

  人から何か言われ、色々な言葉が自分の頭の中に入ってくるまでに、その言葉が、他のものをくっつけてしまった状態で入ってくる事があります。なぜそうなるかはこれで分かったと思います。やってきた情報が、今エゴの中にあるものの中を通らねばならないので、その間に歪んでしまうのです。ですから、それに対する反応も純粋でなくて歪んでしまうのです。その情報に基づいた決定も純粋な決定ではなく歪んでしまうのです。エゴが自分の敵になるというのはこういう事です。

  エゴが自分にとっての唯一の敵なのです。人が自分に何を言っているのかが問題ではなくて、エゴがそれをどう解釈するかが問題なのです。

  ある友人から、自分の着ている服について、「その服は素敵なんだけど、今のあなたにはそぐわないかも知れない。」と言われた時、友人は自分の事を知っているので、「もしかしたらそうかも知れない、この組み合わせは、私には合わないかも知れない。」と思います。
  または、機嫌が悪くなり、ムッとするかも知れません。

  もし、自分の母親が権威的な人で、子供の時から「髪をこうしなさい」とか「もっと、綺麗に洋服を着なさい」とか、身なりについてうるさかったとします。

  そうすると、友人が、服装について何か言ったとたんにどういう気持ちが起こるかと言うと、友人は「自分の事が嫌いなんだ、すごく趣味が悪いと思っているんだ。」と思い、機嫌を悪くします。そういう事は誰にでも起きています。

  これのいちばん悪い面と言うのは、こういうエゴがあると言う事を、普通は意識していないことです。つまり、エゴがやっている事を自分そのものだと思ってしまいるのです。

  エゴが言う事を全て信じてしまっているのです。

  外側からやってくる情報は、自分の中の「戦うか逃げるか症候群」を直接作動させて、ストレスをためています。それによって、病気になったり早死にしたりの原因になる事もあります。自分とエゴの区別をしないので、エゴが飛べと言うと、飛んでしまう。エゴがやれと言う事は無条件にやってしまいます。そうすると、生活上のあらゆる決定も、歪んだ情報に基づいて行われる事になります。

  どこからか情報が入ってきた時、どこを向いても「悪い子だ」とか、「神が罰を与えた」とか「自分には価値がない」というふうにばかり見えてしまいます。人の下す決定や行動は、エゴによりかなり制限を受けています。



なぜこのようにうまく行かなくなっているのでしょうか。

  潜在意識の部分は0才から13才の間にできます。0才から13才までの自分と、今の自分が同じ人格だという人は殆どいなません。教育も受け、仕事を持ち、人間関係を持ち、様々な事を達成し、深い友情も育て、自分の精神世界も探求し、成熟し、子供をもうけ色々な事を学んできました。0才から13才までと同じままで育ってきた人はいません。

  しかし、エゴが自分にいう事は全て0才から13才までの間に言われた事なのです。それを、延々と自分に言い続けています。今自分がどういう人間であるかに係わりなく、その時に言われた事を言い続けています。0才から13才までの間に聞いた声とか印象を、大人になっても聞かされ続け、我々はそれに反応し続けています。これがどんなに悲しい状況かと言う事が分かるでしょう。

  エゴには、論理もないし、学ぶ事もできないのです。エゴは、エネルギーを帯びた鏡のようなものです。或いは、同じ事を延々と言い続ける壊れたレコードの様なものです。

  啓子さんの誕生日のプレゼントのために鳥のオウムを買ったとします。意地悪いユーモアを考えつき、意地悪い事を言うように教え込んだとします。「啓子、あなたには何もできないよ。」「啓子、あなたは頭が悪い。」とかいうことを。

  それをもらった啓子さんが自分の部屋で飼っていて、オウムが毎晩悪い事を言い続けたとするとき啓子さんはどうするでしょうか。

  0才から13才までの間に、親が子供に言う半分以上の事は、子供を傷つける内容です。それは、人間が延々と受け継いできた無知によるものなのです。自分の子供に何かしゃべっているとき、今自分が言っている内容は、自分の母親が自分に言っていたのと同じだと気付く事があります。世代から世代へ同じ無知から来る過ちを繰り返すのは簡単なのです。それが嫌な事とか嫌な言動とかを作っていきます。

  仕事から疲れて帰ってきたときに子供がうるさく寄ってきたとします。そういう時に、子供に向かって「黙って! ほっといて!」と怒鳴った経験は誰にでもあると思います。それは、悪意で言ったのではなく、自分が疲れているので本当に一人にしておいて欲しいから言ったのですが、子供はそういう意味には受け取れない事が多いのです。

  ある本に「自分の人生に起こるごちゃごちゃを親のせいにするのは簡単だ」と書いてありました。でも、本当は自分が自分に向かって毎瞬どんな扱いをしているかを考えると、親がどうこうしたのと比べものにならない程、自分が自分にひどい仕打ちをしています。エゴが自分にひどい仕打ちをしている訳です。エゴが、「おまえは屑だ。」というと「そうかも知れない。」と思ってしまいます。エゴは、きつい事を自分に言い続けています。

  エゴは諸刃の剣のようなものです。エゴは「何かをしろ。」と我々に言います。その後に、「そんな事をしてしまって。」と我々に思わせるのです。エゴを相手にすると我々は勝てません。エゴは論理がないし、壊れたレコードのように繰り返すだけですから、エゴは変化しないのです。

  自分が何度も何度も同じ様な行動をしているのに気がついた事があると思います。景色は違う、年齢も違う、着てた服も違うけれど、同じパターンを繰り返したという事を気がついた事があるでしょう。同じメロドラマを繰り返している人もいます。それは、エゴがやれという事をそのままやっているからです。エゴが変わらないから、やる事も変わらないのです。

  アンソニー・ロギンスによると、「無知とは、同じ事を全く同じ行動で繰り返して、今度は違う結果が出るだろうと期待する事である。」と言っています。

  エゴはあなたを何度でも同じ道を歩かせようとします。エゴそのものが悪いものではありません。エゴはやってくれと言われたものをやっているのに過ぎないのです。エゴが他の次元と自分をつないでくれるので、人間にはエゴは必要です。しかし、エゴと自分とは区別する必要があります。

  自分がエゴに無意識的に従うのではなく、エゴが自分の役に立つように利用するべきです。エゴが自分に従うようにするのです。

 どんなものでも自分が力を与えてしまったものは、自分を左右してしまいます。何か嫌な事をお酒で紛らわせていたとします。「お酒を飲まないとやって行けないよ」と思うと、お酒が自分より強くて大きい存在だと認めて、お酒に力を与えてしまった事になります。

  自分が自分の力を何かに与えてしまった瞬間から、それは自分より高いもの、自分を暴君のように支配するものになってしまいます。

  独身の男性であるあなたがクラブに行ったとしましょう。
  そこである女性と出会いました。すごく輝いていた訳ではないのですが惹かれていきました。話しをしているうちに、一緒に帰ろうという事になります。次の朝、恋に落ちた訳ではないのですが、少しの間付き合ってみようかなと思いました。

  その日仕事に行って家に帰ってみると、その女性から留守番電話に7回もメッセージが入っていたとします。次の日会社に行くと、会社に何度も電話をかけてきたとします。すると、周りの人は「その彼女はどういう人?」と聞きます。

  すると、「こんなに電話をかけられると迷惑だな。」と思い、彼女に「こんなに電話をかけられると困る。」と言います。すると、彼女から「あなた無しでは生きて行けない。」と言われます。

  もしもそういう状況になったら、あなたはその女性に対してどういう態度をとりますか。そうなると、彼女にあまり優しく対応しないですよね。それは、彼女があなたに力を与えて、「あなた無しでは生きて行けない。」と言うように、あなたをすごい存在にしてしまったからです。

  エゴそのものは悪いものではないのですが、暴君と化してしまう事に問題があります。

  好きな人がいたとします。その人のエゴというのは、「あなたは窮屈なところにいるのだからやたらに動くのではない。」とあなたに言います。面白おかしく話しをしていますが、実際はエゴは悲劇を招くのです。

  実例をもう一つ話しましょう。

  小さい男の子が夜中に目をさますと両親が喧嘩をしています。すごい喧嘩なので怖くなりました。しかたないので、「ママ、パパ、喧嘩しないでよ。」と言いました。しかし、彼らは本当に頭にきているので子供に向かって怒鳴ったりし始めます。

  しかし、その子は、本当は両親への愛情を示したかっただけでした。しかし、怒鳴られてますます怖くなってしまいました。そして、自分は悪い子なんだろうと思ってしまいます。もしかしたら喧嘩も僕が原因かもしれないと思ってしまいます。そして、全部は自分のせいなのだという解釈をしてしまいます。すると、その導きがエゴに吸収されて、何もかも悪いのは自分だという認識がエゴの中に取り巻かれて漂ってしまいます。

  15才になっても、20才になっても、30才になっても、50才になっても、全部自分のせいだという声に取り巻かれて生きる事になります。エゴがなんでもおまえのせいだと突っつくので、死にたくなったりしてしまいます。或いは不幸な気持ちで人生を送るとか、心の中のエゴの声が心の中の小さい部分、狂気という名の小さい部分に彼を追いやってしまうかもしれません。

  そんな風にして悲劇的な事になり得るのです。エゴに自分の力を明け渡してしまう事によって、ずっと昔に起きた体験のプログラミングに自分を任せてしまうのです。それは、今の現実に於いては正しくない場合が多いのです。

  子供は本質的に悪い子というのはいません。ただ、いたずらなだけです。両親というのは疲れているかもしれないし、落ち込んでいるかもしれないし、何かに不安を持っているかもしれません。それでも、思わず口を滑らせて、言ってしまった言葉が、子供の人生全体に影響を及ぼしてしまう事があるのです。

  私達が世界をどのように見るかというと、知覚、感覚、情報全てがこのエゴの層を通ってきています。「世界はひどいところである。」と思ったり、「自分を受け入れてくれないところである。」と思ったり、「自分を愛してくれるところではない。」と思ったりします。

  赤ちゃんの時に自分の親友であったエゴが、そのうち自分の敵になってしまうのです。これは残念な事です。


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